今日の満月、京の満月

一个人过中秋,今年是头一回。

一人で過ごす中秋って、生まれて初。

小学中学那些年我住奶奶家,每年中秋傍晚,爸妈还没到家,奶奶在厨房忙活,我吃着月饼陪爷爷喝酒,顺便听他数落我叔叔今年又不回来。每年重复着同样的台词,嗔怒中些许宠溺的口气:“你长大了可不能学你叔,成天在外面瞎忙活,连团圆饭都不回来吃,太不像话了!”

小中の頃はばあちゃんの家に暮らしてた。毎年の中秋、親まだ帰って来てない夕方、ばあちゃんはキッチンで料理に追われ、じいちゃんは先に飲み始めた。私の役は、月餅を食べながらじいちゃんにおじさんの悪口を聞いてあげることだった。毎年同じセリフで、怒るふりで可愛がるように聞こえた。「大人になったら、絶対あいつのようになっちゃダメだよ。毎日なんやかんやで忙しいって、団欒も帰らないなんて、実にみっともない!」

所以在我的印象里,中秋节是一定要回家,要“团圆”的。后来到天津上大学,到北京上班,再后来到日本读研,每年中秋都还是要回家。而我的分工也数年如一日:吃吃月饼,喝喝小酒。

なので、中秋には帰らなきゃ行けない、「団欒」しなきゃ行けない。そう認識して生きてきた。大学で天津に行って、就職で北京に行って、それから研究で日本にきて今まで、毎回の中秋必ず実家に帰る。役もずっと、月餅を噛んだり、お酒を飲んだりすることで、変わらないままだった。

只是随着长大,团圆的人越来越少。七年前,终于等到叔叔一起“团圆”的那个中秋,缺席的人是爷爷。直到今年,爸妈对我说,他俩没有上一代长辈那么深的中秋执念,再加上我今年暑假一直在京都实习,不必为了跟他俩吃这顿饭来回折腾一趟。

ただ、大人になればなるほど、団欒する家族が少なくなって行く。やっとおじさんと一緒に過ごせた7年前の中秋、欠席のはじいちゃんだった。そして今年、親はばあちゃんたち世代ほど中秋への執着がないから、私が夏休みに京都でインターンしてるし、ただ3人で食事するためにわざわざ帰らなくて大丈夫って言われた。

今天京都又下雨。傍晚趁雨停,跑去点心店鶴屋吉信买赏月点心「月兎」,店员告诉我中午就卖光了。

京都は今日も雨の中。夕方、少し止んでいるうち、鶴屋吉信へ「月兎」を買いに行った。昼間くらいもう完売だったって、店員のお姉さんに微笑みながら謝られた。

左:月兎、右:月見団子(via 鶴屋吉信HP)

沿鴨川回家,一路仍是阴云密布,悻悻想着今天恐怕是无缘赏月了。不料刚过葵橋,忽然大文字山顶拨云见月,众人纷纷驻足拍照。

鴨川に沿って帰る途中また雨曇り。今日やはり月見は無理だろうなって。葵橋を通り過ぎた途端、大文字山が雲を吹き飛ばし姿を見せた。その後ろから昇ってきた、おおきく明るい、中秋の名月。

当时脑中冒出一个词:きょうの満月。

頭の中ある言葉が響いてた。
「きょうの満月」。

在日语里,今天的「今日」和京都的「京」发音相同,都是「きょう(kyou)」。我在京都常常见到利用这个谐音双关的广告宣传语,比如卖菜的故意不写汉字,偏用拼音写出「きょうの野菜」,不仅强调了菜很新鲜(今日の野菜),也点明了蔬菜产地是京都地区(京の野菜),如果不是我脑洞过大,应该还暗藏了“今天也要多吃蔬菜喔~”的意思。

日本語で、今日の「今日」と、京都の「京」は発音が一緒、「きょう(kyou)」だ。京都に住んでて、このダジャレが使われた看板やポスターがよく見れる。例えば八百屋さんがわざと漢字を使わず、「きょうの野菜」を書きがち。それは「野菜は新鮮だよ」とも読み取れるし(今日の野菜)、「産地は京都だよ」とも読み取れる(京の野菜)。「今日も野菜をいっぱい食べてね」という意味も含めていると勝手に思う。

我很喜欢这个双关,因为「今日」说的是时间,而「京」说的是空间,用得巧可以产生一种时空交错的暧昧。

このダジャレは結構気に入ってる。なぜかというと、「今日」は時間のことで、「京」は空間のことで、うまく組み込めば、インターレースができるはずだからだ。

きょうの満月,可以是「今日の満月」,也可以是「京の満月」。读起来都一样,如果理解为“今天的满月”,那么可以是任意地点看到的满月;如果理解为“京都的满月”,又可以是这座古城在千年岁月中的任意一次满月。妙的是,生活在京都的人,大概都会自然联想到这两层意思。就像咱们随口而出“明月几时有把酒问青天”的时候,眼前的明月已经在潜意识中与千年前那一轮重叠。重叠的两轮明月之间的距离,形成我们文化的厚度。这种厚度让我觉得心里满满的,正如「きょうの満月」。

きょうの満月って、「今日の満月」でもあるし、「京の満月」でもある。「今日」を意味する場合、どこから見られる満月にもなれる。一方、「京」を意味する場合、この古都の千年の中、いつ頃の満月にもなれる。面白いのは、京都に暮らしているみんな、自然にこの両方を読み取るでしょう。我々中国人がつい「明月幾時有/把酒問青天 」(明月、幾時より有るや/酒を把って、青天に問う)を言い出してしまうたび、目の前の満月はもう、千年前の一輪と重なっている。重なった二輪の満月の距離から、まさに我々の文化の厚さを感じるだろう。その厚さが私の心に溢れて、まるで「きょうの満月」のようだ。

几分钟后,圆月渐升,重又掩入层层乌云。我回到家给爸妈打电话,他们告诉我,烟台今天也在下雨。 我们也算是“千里共连绵”了。

数分後、月がだんだん昇って、また雲に隠れた。家戻って親に電話したら、なんと実家も雨だった。私たち家族も「千里共連綿」(千里連綿の雨を共にせんことを)だな。

水調歌頭
蘇軾
(丙辰中秋,歡飲達旦,大醉。作此篇,兼懷子由。)
(丙辰の中秋、歡んで日の出に達するまで飮み、大いに醉って、
此の篇を作り、くわえて弟の子由を懐憶する。)

明月幾時有   明月幾時よりか有る
把酒問青天   酒を把って青天に問ふ
不知天上宮闕  知らず天上の宮闕
今夕是何年   今夕は是何れの年ぞ
我欲乘風歸去  我風に乘って歸り去らんと欲す
又恐瓊樓玉宇  又恐る瓊樓の玉宇
高處不勝寒   高き處寒さに勝へざらんことを
起舞弄清影   起舞して清影を弄ぶ
何似在人間   何ぞ似たる人間に在るに

轉朱閣     朱閣に轉じ 
低綺戸     綺戸に低れ
照無眠     無眠を照らす
不應有恨    應に恨み有るべからざるに
何事長向別時圓 何事ぞ長へに別時に向って圓なる
人有悲歡離合  人に悲歡離合有り
月有陰晴圓缺  月に陰晴圓缺有り
此事古難全   此の事古より全くなり難し
但願人長久   但だ願はくは人長久に
千里共嬋娟   千里 嬋娟を共にせんことを

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